いつもうろうろしているRSSの古い記事をぷらっと見てみたら、こんな言葉があった「やっぱり感受性が学ぶための基礎なんだろうな」(via DESIGN IT! w/LOVE)
勉強したいとか勉強中とか、いつになったらできるようになるのかわからない人って確かにいます。
この記事を読んで思ったのは、以前に読んだ「感動は心の扉をひらく―しらくも君の運命を変えたものは?」でいわれていることってやっぱりその通りなんだなと。
過去の感動があるとそれをきっかけに新しい自分に気がついたり、そのときの感覚をまた味わいたいと思うからまた新しいことに挑戦するとか。
感受性というのは感動するための機関なのかなと思った。
感受性を磨くことを怠り、感受性が乏しくなってくると過去の感動を忘れてしまい、挑戦することができなくなってくる、だから、いつまでたっても新しい感動が生まれないので新しいことを学ばなくなる。
きっと同じことを言っているのだと思う。
最近読む本で本質的なところは同じことを言っていると思うことが多い。
今はまだ途中だけど、青空文庫で「学問のすすめ」を読んでいるけども、これは以前に読んだ「プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))」でいわれていることと同じことが出てくる。「デザインの輪郭
」でもそうだったし「成功の法則92ヶ条
」でもそうだった。
学ぶことは一生続き、新しい感動を得てまた次を学ぶ。常に自己を他人としてとらえ分析し、必要なことは何か足りないことは何かを考えよいところをのばし、悪いところを補う。
時には自分以外の人の協力をあおぎ、連携を生んで社会を形成する。
すべての結果は自分自身が生んだ結果であり、それをまた分析して次にいかしていく。
失敗を恐れず、どんな細かいことにも手を抜かず。感動を得てはそれを捨てまた新しい感動を得ようとする。
「やっぱり感受性が学ぶための基礎なんだろうな」(via DESIGN IT! w/LOVE)では最後に「「わかる」対象ではないものに触れる経験をたくさんする」といっている。
ここ最近の自分を顧みて、「わかること」ばかりやろうとしているんじゃないかと思ってしまう。「わからないこと」について考えるのを怠っていないだろうか?
例えば、お年寄りは新しいことをやものを覚えられないようなイメージがあるけども、それと一緒なんじゃないかと。
新しいものを触ったときの感動を捨ててしまったということなんだと思う。つまり、感受性が働かなくなってしまっているということだ。
僕も感受性をしっかり磨いて、たくさんのことに感動してもっと学ばないといけないと思った。
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